スターへの道
第11章:シー ザ スターズの母:高貴なるアーバンシー

1991年になると、クリスティンとクリストファーのフランス語はかなり上達していた。すでに留学の目的は達成されたと 言っていいだろう。そのためか、子どもたちは香港に戻りたがるようになった。父親や祖父母、その他の家族、そして多くの親友たちが待っている香港。そこは まさに「安住の地」だ。しかし子どもたちは、パリでの留学経験のせいで、自分が香港に住むいとこたちとは違った人生を歩まなければならないことを意識する ようになった。いとこたちの場合、香港の中学校を卒業すると、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)やハーバード大学、英国のオックスフォード大学や ケンブリッジ大学で学び、卒業後は香港に戻ってビジネスに励んだり、家業を継いだりするのが一般的だった。わたしの子どもたちは、なぜ自分がいとこたちと 同じような人生を歩むことができないのかと悩んだようだ。わたしが子どもたちを、彼らのいとこたちと同じようにしたくないのではないかと思ったようでもあ る。やがて成長した後で子どもたちは理解してくれたが、当時のわたしは、子どもたちの人生や将来のビジネスについて、より多くの選択肢を与えてあげた かったのだ。

オックスフォード大学
   
ケンブリッジ大学
     
ロンドン留学時代の崔黄紫霊

 

ハーバード大学


子どもたちにとって幸運だったのは、彼らが幼少のころ、偶然にも調教師のレスボード氏と出会ったことだ。レスボード氏の存在は、その後の子どもたちの人生 を大きく変えることになった。当時、レスボード氏は資金繰りに困っており、わたしはその手助けとして、彼が調教していた1頭の競走馬を買った。これが縁で、わが家とレスボード家は親しくなった。レスボード氏には、クリストファーより8歳年上のクレモンというご子息がいたが、2人の男の子たちは、まるで本 当の兄弟のようになった。クレモンの姉のオナはクリスティンよりも9歳年上で、やはり本当の姉妹のようだった。オナはクリスティンが苦手な算数を熱心に 教えてくれた。レスボード夫人はテニスとマラソンが好きだった。彼女は滅多に顔を見せることはなかったが、クリストファーは彼の大好物の「フライドポテ ト」を夫人がよくつくってくれたことを、いまでも覚えている。毎週土曜日に子どもたちのピアノのレッスンが終わると、わたしたちは運転手のピエールにクル マを走らせ、シャンティにあるレスボード家の厩舎に向かった。そこは子どもたちにとって、まるで夢のような世界だった。

シャンティにあるシェオン・レスボード氏の家
   
ボビーと一緒にリモコン駆動のおもちゃの自動車で遊ぶクリストファー


レスボード氏の競走馬を見る目は確かだった。彼が見出した小さな牝馬、アーバンシーは、わたしたちが買った馬の中で、もっとも輝く存在だった。クレモンは わたしの子どもたちに、競走馬についてさまざまなことを教えた。子どもたちがいちばん最初にかわいがったのはアデュー オゥ ロワ(「国王への決別」という意味)という馬で、その後もいろいろな競走馬を愛した。そのうちの1頭のテーク リスクは、1マイルレースでも優勝した気位の高い馬だったが。しかし、毎朝の調教で、小さな牝馬にすぎなかったアーバンシーの伴走役を務めさせられたこと は、テーク リスクのプライドをいたく傷つけたようだ。馬にも個性があり、それぞれ複雑な感情を抱いていることを知った娘のクリスティンは、馬たちのプロフィールや関 係を自分の好きな探偵小説のようにまとめようとした。しかし、それはあまりにも複雑な作業だった。手に負えなくなった娘は、途中までまとめた小説を息子の クリストファーに見せた。おそらくクリスティンは、お気に入りだったアデュー オゥ ロワが、ろくにレースにも出場せず、ふざけてばかりいることにも幻滅したのだろう。小説を書こうとする彼女の情熱は次第に薄らいでいった。その後、クリス ティンは、フランスの三歳牝馬のG1レース「ディアヌ賞」を競馬場で直接観戦したが、出走したアーバンシーが6着で終わったことにも失望したようだ。以 後、娘は競馬場に出向くことはなくなり、競馬はもっぱらテレビで観戦するようになった。

レスボード氏は資金援助を求めていた
   
ヘアーバンドでおしゃれをしたアーバンシー


わたしにとって大きな楽しみのひとつは、中国政府の代表団をシャンティに招くことだった。そのメインイベントは、アーバンシーのトレーニング風景の見学 だ。騎手はいつもクレモンが務めてくれた。クリスティンは、アーバンシーが目の前を通るたびに、なぜ代表団の人たちが喝采するのか不思議でならなかった。 疾走するわけではなく、ただトコトコ歩いているにすぎないのに。わたしはその理由をクリスティンに説明した。お客さんたちは、わたしにとってアーバンシー が神の馬、すなわち汗血馬であることを知っていたのだ。中国の歴代皇帝たちが古くから馬を愛したように、中国には馬を尊いものと考える文化が昔から定着し ている。お客さんたちがアーバンシーに心酔するのは、中国人として、とても自然なことだったのだ。

崔家の色の勝負服を着たクレモンとその両親
   
小さなクリストファーとジャン・レスボードの間には友情が芽生えた

 




 
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