スターへの道
第13章:とめどもない欲望

沢田正彦氏は1983年、父親が築き上げた自動車販売、貿易、金融などの事業を継承した。エキセントリックな性格で、美 術品収集を趣味とする正彦氏は、他の日本の多くの大金持ちと同じようにパリに別荘を構えていた。しかも、ひっそりと暮らすのではなく、ひときわ目立つ生活 を好んだのだ。正彦氏がパリで最初に借りたのは、名家として知られるダッソー家が所有しているオテル・パーティキュエリという物件だった。歴史があって 格調高いこの住宅は、パリの目抜き通り、シャンゼリゼに位置していた。正彦氏は、この家をただ借りるだけでなく、数百万フランを費やして大改修を施した。 壁を塗り直し、来客用に金で装飾したエレベーターを取り付けた。フロアのひとつはゴルフ練習場に作り替え、そのほかにもビリヤードルームやフィットネス ルーム、サウナルームなどを設けた。芸術とレジャーを融合させた家を作りたかったようだ。

マルセル・ダッソー氏が所有するオテル・パーティキュエリは、シャンゼリゼ大通りのロン・
ポワンにある
 
画家ガイ・ビュフェ氏が描いたシャンゼリゼ大通りのロン・ポワン

 

1989 年から、正彦氏はパリを拠点として、金に糸目をつけず、著名な印象派画家たちの作品をオークションで競り落とした。彼が「アーバン・スポーティング・ク ラブ」と名付けた場所には、モネやマネ、シスレー、ルノワールなど、そうそうたる印象派画家たちの絵画が常設展示されていた。このクラブで開かれるカクテ ルパーティに招待されることは、上流階級の人々にとって大きな名誉だった。

日傘を差す女(クロード・モネ)
 
花と果物(アルフレッド・シスレー)

 

ブリオッシュ(エドゥアール・マネ)
 
桃とアーモンド(ピエール=オーギュスト・ルノワール)

 

沢田正彦氏がオテル・パーティキュエリの大改装の次に行ったのは、シャトー・ド・セリーに「アーバン・セリー・ゴルフ・クラブ」を建設することだった。

セリー・ゴルフ場
 
セリー・ゴルフ場のクラブハウス

 

沢 田正彦氏は、スポーツと芸術を融合させるだけに飽き足らず、パリの競馬界における名声を求めた。そして1990年、当時まだ無名だったジャン・レスボード 氏に50頭の明け2歳馬を買わせたことによって、それを手に入れたのだ。レスボード氏は50頭のうちの半分をドービルで仕入れており、その中には往年の名 馬であったハイエストオーナー、ケンマール、サドラーズウェルズなどの子どもたちも含まれていた。50頭の中でもっとも見劣りしたのは、ドイツ生まれの小 柄な牝馬であった。しかしこの馬こそが、名馬ミスワキを種牡馬とする、後のアーバンシーだった。

レスボード氏は1990年8月にドービルで開催された明け2歳馬の競売で、アーバンシーを落札した
 
屋外パレードリングにて。沢田氏から馬の購入を委任されたレスボード氏が、競売前に26頭の明け2歳馬を品定めしている

 

競 馬愛好家としてのステータスを確立するために、沢田氏は自分の厩舎を所有したいと考えた。著名な香水メーカーの創業者一族であるジボダン家が所有していた アハリャミタージュという厩舎を購入すると、招待客のために、大金をつぎ込んでバラ園やテニスコート、5つ星クラスの宿泊施設などを建設した。厩舎の入り 口の門には、フランスの著名なデザイナーであるパスカル・モラビトの銅像が建てられた。

当然のことながら、沢田氏の豪快な買い物はパリのマスコミにも大きく取り上げられ、その名声は社交界に広がった。とうとう沢田氏は、念願の地位を手に入れたのだ。

大金の上に座る沢田氏
 
大金を空に投げ上げる沢田氏

 

しかし、沢田氏の優雅な生活も長くは続かなかった。莫大な支出を賄えるほどの収入が得られなくなり、財務状況は次第に悪化していった。資金繰りを確保するため、せっかく買った資産を売却しなければならなかったほどだ。

沢田氏は破産した

 

わ たしはなぜ、ジャン・レスボード氏を信用しようと思ったのか。はっきりとした理由はわたし自身にもわからない。レスボード氏のサラブレッドに賭ける情熱に 魅了されたのかもしれない。結局わたしは、レスボード氏を支援するために馬を買うという大きな決断した。しかし、買った後もさまざまな困難や試練が待ち受 けているということを、そのときは知る由もなかった。

崔黄紫霊とレスボード氏は互いに手を取り合ったが、その前途には困難が待ち受けていた



 
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