スターへの道
第14章:困難な道

沢田氏への送金手続きを済ませると、すぐさま馬の所有権が変更され、夫の崔宝栄(デービッド)はフランスギャロ(フランスの競馬統括機関のひとつ) に新しい馬主として登録された。わたしの名前が「黄紫霊」であることから、所有するすべての馬の勝負服には黄色、紫色を採用することにした。中国では古く から、黄色と紫色は皇帝が用いる高貴な色で、「霊馬」を代表する色でもある。

シルクの衣裳をまとった夫の崔宝栄(デービッド)。黄色と紫色は中国の皇帝が使用する高貴な色だ。帽子の上には、幸運を象徴する黄色い星が飾られている

 

わたしは、購入した馬たちを視察するためシャンティに向かった。運転手のピエールは、「わたしたちがこれから訪ねるのは、フランス全土のトレーニングセンターの中でも、もっとも権威のある場所ですよ」と教えてくれた。

ラモルレイ・トレーニングセンターでの走行訓練
 
ラモルレイ・トレーニングセンター


ピ エールは矢継ぎ早に、「フランスにおけるシャンティは、イングランドにおけるニューマーケットや、アイルランドにおけるカラと同じような場所です」と説明 したが、当時のわたしにとっては、そのどれもが馴染みのない場所だった。1991年のわたしは、ようやく競馬について学び始めたばかりであり、競馬界に とって、シャンティがどれほど重要な場所なのかということは知る由もなかった。

崔黄紫霊と人工衛星「亜星1号」。発射2時間前に記念撮影

 

ピ エールは厩舎の入り口にクルマを停めた。60頭分の小屋があるこの厩舎は、著名な調教師パトリック・ビアンコーヌ氏とゆかりの深い場所だ。不思議な縁と でも言うべきか、ビアンコーヌ氏は香港で調教師としてのキャリアを築いた人物である。だからこそレスボード氏は、このシャルル・プラット街にあるエレガン トな厩舎を借りることができた。近隣には、やはり著名な調教師であるフランソワ・ブータン氏、フランソワ・ドゥメン氏、ベルナール・シックリー氏らの厩舎 があった。

ラモルレイの厩舎

 

新 しい馬主が女性だからといって、レスボード氏はわたしを熱狂的に歓迎してくれることはなかった。これはある程度予想どおりだった。事前に読んだ雑誌の記事 で、レスボード氏が寡黙な人物であることを知っていたからだ。さらに、購入した45頭の馬の中で、レスボード氏が特別に愛情を注いでいるのはアーバンシー ただ1頭であることも知った。レスボード氏は、その独特のしゃがれた声で「アーバンシーは小柄だが、名馬ミスワキを父親とする血統のいい馬です。だから こそ、かつてパトリック・ビアンコーヌ氏がオールアロングを育てたこの厩舎で育ててやりたかった」と説明した。レスボード氏はさらに、ここで調教された オールアロングが、1983年の凱旋門賞で優勝し、その年の最優秀馬にも選ばれたことを教えてくれた。

かつてのパトリック・ビアンコーヌ氏の厩舎。クリストファーが愛馬「布盧」に騎乗している

 

レスボード氏の表情は、無言の言葉を語り掛ける。「最初の馬主は日本のプレイボーイ、今度は無知な中国人女性か……」

フランスの田舎に住む人々の寡黙な雰囲気は、日本の忍者を思わせる
 
中国のカンフーの達人

 

レ スボード氏はわたしを連れて厩舎の中を巡回し、1頭1頭の馬の名前や血統などを教えてくれた。驚いたのは、アーバン マルジーナ、アーバン マヨコ、アーバン スカイ、アーバン ダンシングといったように、名前に「アーバン」の文字が入った馬が多いことだった。だが、もっとも耳に馴染んだ名前といえば、やはり最初に紹介されたアー バンシーだった。この名前を聞くだけで、わたしの頭の中には馬と海(シー)のイメージが湧き上がった。それは、妖精たちが住む海のようなイメージでもあっ た。

海の中の馬たち。中国の皇帝の愛馬だ
 
妖精の住む海。わたしの教女、呉振紅

 

わ たしは、アーバンシー以外の馬の名前は変えたいと思った。しかし、フランスギャロの規則によれば、一度登録された馬の名前は変更することができないのだと いう。「アーバン」という名前は、前の馬主の沢田正彦氏が自らのビジネスの宣伝のために使用したものだ。彼はパリのシャンゼリゼ大通りに「アーバン・ス ポーティング・クラブ」というレジャー施設を所有していた。さらに、アーバン マルジーナの「マルジーナ」は彼の秘書の名前、アーバン マヨコの「マヨコ」は妻の名前だった。家族や関係者の名前を付けた後には、アーバンシー(都会の海)、アーバン スカイ(都会の空)、アーバン ダンシング(都会のダンス)といった名前も付けるようになった。アデュー オゥ ロワやテーク リスクなどの馬は、沢田氏の前の馬主が名付け親だった。

崔黄紫霊と、かつて中華人民共和国主席を務めた劉少奇氏の娘の劉婷婷女史。アデュー オゥ ロワとともにレスボード氏の厩舎にて

 

変 えることができない以上、わたしが受け入れられる馬の名前はアーバンシーしかなかった。中国の五行思想では、「土」は命を生む土壌であり、「水」は「土」 を助けて命に元気を与える存在、すなわち事業の発展に欠かせないものだとされている。「都会」と「海」を掛け合わせたアーバンシーだけが、その名前の中に 「土」と「水」の意味を含んでいた。

中国の五行思想:金、木、水、火、土

 

五行の法則:「土」は力を象徴し、「水」は「土」の力を助ける

 

わ たしが五行思想を引き合いに出したことに、レスボード氏は戸惑いを隠さなかった。彼は心の中では、「欧州貴族のスポーツである競馬と中国の五行思想がどう やったら結び付くのか」とあきれ果てていたに違いない。あるいはレスボード氏はこのとき、「女性が天下を取ったら、ろくなことはない」というマルティン・ ルターの女性蔑視的な言葉に共感を抱いていたのかもしれない。レスボード氏は、中国の歴代皇帝の中に唐の武則天という女帝が存在していたことを知るはずも なかった。

中国の歴代王朝の中で唯一の女帝、武則天(唐の時代、西暦618~906年)

 

アーバンシーがオールアロングのような名馬になるためには、優れた素質とともにレスボード氏による確かな調教が欠かせなかった

名馬オールアロング

 

わ たしの名前に含まれている「霊」は、中国では「精神」を意味する文字だ。だが、わたしは強靭な「精神」だけが成功を支える力ではないと思っている。わたし がつねに信条としてきたのは、「学んでこそ勝てる」ということだ。馬を買ってからというもの、わたしは周囲にいる競馬の知識が豊富な人たちや調教師たちに 付きっ切りで勉強し、競馬や調教にかんする本も読み漁った。さまざまな知識を吸収するにつれて、人々を魅了する競馬という神秘的な世界の魅力が少しずつ見 えてきた。

神秘的な世界

 

多 くの馬を所有する馬主にふさわしい知識を備えようと、わたしが取り組んだ勉強は予想以上にはかどった。これはレスボード氏にとっても驚きだったようだ。 レスボード氏は競馬記者たちに向かって、「この新しい女性オーナーは、非常に勉強熱心で、学習の進歩も速い」と褒めたたえてくれた。こうして、馬主である わたしと、調教師であるレスボード氏の信頼関係は少しずつ深まっていった。

まるで赤ちゃんのように、歩き方から学び始めた

 

学んでこそ勝てる






 
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