スターへの道
第15章:紆余曲折

競馬のことを短期間で学ぼうと思ったら、レースと育成に深く関与することが欠かせないのではないか、と思うかもしれな い。しかし、それは大きな間違いだ。わたしには1人の友人がいる。台湾出身の女性だ。宝石収集を趣味とする彼女は風変わりな女性で、沢田正彦氏と同じよう に、パリで名声を得ることを求めていた。

100.32カラットのデ・ロング・スタールビー
(ニューヨークのアメリカ自然史博物館収蔵)
   
37カラットのチャークエメラルド
(ニューヨークのアメリカ自然史博物館収蔵)
     
98.6カラットのビスマルクサファイア
(スミソニアン協会収蔵)
   
530.2カラットの「偉大なアフリカの星」
(世界最大のダイヤモンド)(ロンドン塔収蔵)


彼女は私のビジネスパートナーになりたがっていた。斬新で、刺激的な冒険へといざなってくれるパートナーに

ペガサスとともに未知の冒険へ


彼女は香港で国際的に有名な競馬騎手とディナーを共にした後、迷うことなく、わたしが所有する45頭の馬のために出資させてほしいと言い出した。そればかりか、彼女はこの名騎手を競馬事業を管理するマネジャーとして採用したのだ。

友人と騎手は「一攫千金」を目指して手を組んだ


わたしは、彼女が出資することに異存はないけれど、わたしを筆頭株主とすることをパートナーシップの最低条件とした。

彼 女が競馬事業のマネジャーとして雇った騎手は、わたしが買った馬たちを視察に訪れた。彼はアーバンシーを見て、「魅力的ではないし、血統もよくない。地 方競馬にでも送ったほうがいい。シャンティで高い育成費用を払ってまで育てるのはお金の無駄ではないか」と言った。その他の馬についても、この騎手はあま りいい評価を与えなかった。友人は、この競馬ビジネスに対する自分の見立てが間違っていたのではないかと思い始めた。

友人が競馬事業のマネジャーとして採用した騎手は、アーバンシーをボルドーの地方競馬に送るべきだと進言した
   
わたしはアーバンシーをパリに留めることを決断した


しかし、わたしはレスボード氏の直感を全面的に信頼していた。レスボード氏がアーバンシーのことを、王冠の中でもっとも輝いている宝石だとみなしているのなら、それは絶対に間違いないはずだ。わたしと友人の意見は食い違い始めた。

アーバンシーは、王冠の中でもっとも輝いている宝石だ


そのころ、わたしが進めていた競馬事業はお世辞にも順調とは言えなかった。一部の馬は賞金を獲得したが、ほとんどの馬は勝つことができず、育成費にも事欠 いていた。パートナーとなった友人も、育成費して彼女が支払うべき分担金を出そうとはしなかった。資金が底をついたわたしは、やむなく1992年の凱旋門 賞の前日に行われる競売で、すべての馬を売り払うことを決断した。当時、アーバンシーは、レスボード氏の予想を上回るほどの好成績をあげていた。初出場し た2歳馬レースで2着、最後の2歳馬レースでは見事1着に輝いたのだ。レスボード氏は、アーバンシーはますます成長すると確信していた。彼に言わせれば、 アーバンシーの血統は、優れたワインを生み出すブドウの品種と同じようなものだ。いいワインほど、年月を経て味わいが深くなるのと同じように、アーバン シーもレースを重ねるごとに強くなるというのだ。ちなみに中国では、フランスのヴィンテージワインは黄金と等しいほどに珍重されている。2011年1月 22日に香港で開催されたオークションでは、英国の名作曲家アンドリュー・ロイド=ウェーバーが所蔵していたワインが350万英ポンドで落札された。

1万7,460英ポンドで落札されたドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのマグナム瓶
   
4万8,500英ポンドで落札されたシャトー・
ペトリュスのケース
     
ミュージカル『オペラ座の怪人』の作曲で知られるアンドリュー・ロイド=ウェーバーは、今日においてもっとも有名な作曲家のひとり。作品数も多い
   
ミュージカル『キャッツ』の中国語(中国標準語)版は、中国全土で上演された


アーバンシーは、1992年10月に競売に掛けられるまでに、輝かしい栄誉を勝ち取っていた。その年の5月にロンシャンで行われたレースで優勝。8月に はドービルで開催されたピアジェ賞でも1着に輝いている。またG1レースのヴェルメイユ賞では3着、カナダのウッドバインで開催されたE.P.テイラー・ ステークス(G1)では2着となった。華々しい戦績のおかげで、アーバンシーは注目の的となり、高額で落札されることが期待された。

アーバンシーはオークション会場で注目の的だった


もし、そのときわたしに少しでも迷いがあったなら、アーバンシーは別の人の手に渡っていたことだろう。しかし、オークション会場に入ってきたアーバンシー と目と目が合ったとき、わたしはこの馬を必ず連れ戻すべきだと考えた。わたしは300万フラン(約45万7,347ユーロ)でアーバンシーを競り落とし た。周りの人々は「高すぎる」と言ったが、価格は関係なかった。アーバンシーは、われわれにとって離れがたい家族の一員だったのだ。

アーバンシーを300万フランで落札したことを報じる当時の新聞


跡取り息子のクリストファーは、わたしがアーバンシーを見捨てると思っただろうか? もちろん、そんなことはない。彼はアーバンシーと出会ったころから、 この馬は家族の一員であると思っていたし、だからこそ、離れ離れになるなんてあり得ないと考えていたからだ。クリストファーは週末ごとに、レスボード氏と クレモンのもとを訪ねて乗馬を習った。それはクリストファーにとって、何事にも代えがたい貴重な時間だった。

シャンティで愛馬「布盧」に乗るクリストファー
   
クリストファーに乗馬を教えるレスボード氏


やがて息子は、優勝馬を所有する馬主の一員となった。彼とクレモンとレスボード氏は、週末に開催されるすべてのレースに参加した。アーバンシーがピアジェ賞で優勝したときも、3人は一緒に参加していた。

ピアジェ賞で優勝したアーバンシーを褒めたたえるクリストファーとジャン・レスボード氏


アーバンシーはもっとも特別な馬だったが、彼女だけが活躍したわけではなかった。もう1頭の馬、アデュー オゥ ロワも、優れた成績を残してわたしたちを喜ばせた。





 
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