スターへの道
第18章:記念すべき1993年の凱旋門賞

運命の凱旋門賞の当日、わたしは緊張のあまり、とてもロンシャンの競馬場まで行けそうもなかった。夫の宝栄とクリストファーだけに行ってもらい、わたしは自宅のテレビでレースを観戦しようと思った。

現代のシンデレラストーリー

 

わ たしは緊張に耐えられそうもなかったのに、なぜか夫の宝栄は非常に落ち着いていた。その理由は、夫がクリストファーに手渡したその日の新聞の1面にあっ た。そこには1頭の馬がゴールを1着で駆け抜ける場面を描いたイラストが載っていた。その馬の騎手が、夫のラッキーカラーである黄色の勝負服を着ていたの だ。「これは吉兆に違いない」と夫は言った。

 

Jaune 黄マスク(面子)、ユベール・ド・ワトリガン作
 
凱旋門賞当日の新聞に、黄色の勝負服を着た騎手が駆る馬が優勝した場面のイラストが掲載された

 

ロ ンシャン競馬場に向かったのは、夫と息子、レスボード氏、クレモン、わたしたちの友人であるシャルルとクリスティナ・ド・バヴィエの6人だった。このころ 息子のクリストファーはすでにロンシャン競馬場の常連で、わたしたちの馬が出走するレースを何度も見ていた。しかし、常連であっても、場内で迷子になるこ とは珍しくはなかった。

 

クリストファーは小さいころから、ロンシャン競馬場の常連だった
 
凱旋門賞当日のクリストファー。ロンシャン競馬場にて

 

父親の宝栄と違い、クリストファーは競馬場で馬が勝ったり負けたりする様子を見慣れていたので、結果が出るたびに一喜一憂することはなかった。しかし、やはり「勝利こそがすべて」だと思う気持ちは強いようだ。それはいまも変わらない。

 

三帝会戦(アウステルリッツの戦い)で勝ったことが、ナポレオン最大の勝利だった

 

ワーテルローの戦いで敗れたナポレオン。初めから勝ち負けが予想できる戦いなど、この世に存在しない

 

ロンシャンの常連であったクリストファーですら、凱旋門賞当日の異様な熱気と興奮には戸惑いを隠せなかった。それは、のどかな通常のレース日の雰囲気とはまったく異なるものだった。

凱旋門賞当日のロンシャン競馬場
 
華麗な出で立ちでレース観戦をする淑女たち

 

凱旋門賞で繰り広げられる美の競演

 

凱旋門賞の興奮は、テニスの全仏オープン最終日のそれを思わせる

 

全仏オープン会場
 
全仏オープン最終日

 

レースが始まる直前になると、誰もがその結果について自分の予想を喋り出す。もちろん、すべての観客が凱旋門賞を目当てにしているわけではない。なかには別のレースを気にしている観客もいるが、やはり大部分の観客は凱旋門賞の行方に注目しているのだ。

恐れ
 
言葉にできない感情

 

凱 旋門賞ほど勝利が困難なレースはない。出走する23頭のうち、15頭はG1レースの優勝馬だった。歴戦の名馬たちがエントリーされる中で、ダービーとアイ リッシュダービーを制したコマンダーインチーフが棄権したことは大きな関心を集めた。大本命はアスムッセン騎手が乗るエルナンドだった。

大本命のジョッキー、アスムッセン騎手
 
高まる緊張

 

珍しいことに、今回の出走馬の半分は牝馬だった。10年前にオールアロングが優勝して以来、凱旋門賞で勝った牝馬は1頭もいないのに。

 

女の園へようこそ

 

ブックメーカーたちがこの年の凱旋門賞で勝てそうな牝馬として挙げていたのは英国のユーザーフレンドリーただ1頭だけだった。わたしたちの小さな牝馬アーバンシーは、G1レースで優勝した実績がないため、37倍もの高倍率が付けられていた。

わたしたちは、巨人ゴリアテに立ち向かったダビデのように、無謀な戦いに挑もうとしていた

 

出走の1時間前、神は突然、わたしたちの願いを聞き入れてくれた。競馬場に大雨が降り始めたのだ。レスボード氏は飛び上がって喜んだ。

雨が降ってきた
 
わたしたちの幸運の天使は、その弓に矢を掛けた

 

「大 雨が降れば、ロンシャンの馬場のコンディションは劇的に変わる。湿って軟らかくなるんだ」とレスボード氏は言った。出走の直前になって、アーバンシーに とって理想のコンディションが整った。レスボード氏の表情は、まるで苦難を乗り越えてエベレストを制覇した登山家のように自信に満ちていた。

 

エベレスト

 

レ スボード氏はまるで、すでに優勝杯を手中に収めたかのような気分に浸っていた。彼は、その満ちあふれる自信と勇気をアーバンシーにも伝えようとした。わた しも、アーバンシーが優勝できるのではないかという自信を強めていた。出走ゲートに入ろうとしたアーバンシーが、上半身を反り返らせたり、跳び上がった りと、勝ち気満々の様子を見せていたからだ。

 

勝利はわたしたちのものに
 
優勝杯

 

わ たしたちのチームは、128番のボックス席からレースを観戦した。アーバンシーの馬番は12であった。不思議な因縁というべきか、この番号は16年後の ダービーでシー ザ スターズが付けた馬番と同じだった。いよいよレースが始まり、馬たちは勢いよく駆け出した。後日マスコミが報じたところによれば、出走馬はどれも相当な実 力の持ち主で、熾烈なデッドヒートが繰り広げられたようだ。わたしには詳しいことはわからなかったが、いまでも忘れられないのは、黄色い勝負服を着た騎手 の駆る馬が最後方から一気に駆け上がって1着でゴールした姿だ。それはまぎれもなくアーバンシーだった。わたしたちのアーバンシーが、ついに念願の凱旋門 賞制覇を果たしたのだ!

12番のゼッケンを付けたアーバンシー。1993年の凱旋門賞にて

 

16年後、ダービーに出走したシー ザ スターズも12番のゼッケンを付けた

 

残 念なことに、夫の宝栄は優勝の瞬間を直接見ることができなかった。レースが始まった途端、興奮し始めたクレモンが、ボックス席のバルコニーから落ちないよ うに抱きかかえるのに必死だったからだ。後日わたしたちは、録画されたレースを何度も繰り返し見直したが、「行け、エリック!」とエリック・サンマルタン 騎手の名前を叫ぶクレモンの興奮した声がはっきりと聞き取れた。画面の中で宝栄は、まるでグリム童話に登場するラプンツェル(髪長姫)を救った王子のよう に、クレモンをしっかりと抱きかかえていた。

 

ラプンツェルは、その長い髪をロープ代わりにして、囚われていた高い塔の上まで王子
をよじ登らせた
 
「行け、エリック!」と大声で叫ぶクレモン

レースが終わると、レスボード氏とクレモンはすぐさまアーバンシーのもとに駆け付け、優勝馬の表彰台へと連れていった。宝栄とド・バヴィエはバーに行って祝杯を挙げた。興奮を落ち着かせるために、ウイスキーを飲まずにはいられなかったのだ。

 

人生において重要な場面では、ウイスキーが欠かせない

 
宝栄は表彰台に到着すると、アーバンシーを支えてくれたすべての関係者と固く握手を交わした。誰もが感動と興奮に包まれていた。あまりにも興奮していたせいか、宝栄はボックス席に子どもたちを置き去りにしてきたことすら気付かずにいた。

愛娘
 
愛息

 

11 歳の小さな中国人の男の子が、群衆でごった返している中を表彰台までたどり着くのは容易なことではなかったはずだ。幸い、1人の友人が息子に気付き、やさ しく守りながら表彰台まで連れてきてくれた。わたしは、以前見たマコーレー・カルキン主演の映画『ホームアローン』(1990年)に似たような場面があっ たことを思い出した。

 

マコーレー・カルキン主演の映画『ホームアローン』

 

息子は、アーバンシーが優勝場として表彰される姿を見届けることができた。あれほどまで人々に絶賛されることがなかったら、たとえレースに優勝しても、寂しい思いをさせられたに違いない。 

 

ロイヤル・ウィンザー競馬場で愛馬に触れる女王エリザベス2世
 
ダービーに出席した英国のロイヤルファミリー

 

女王からトロフィーを受け取るアーガー・ハーン4世
 
ダービーの日にアラブ首長国連邦のモハメド殿下、ハヤー姫と面会する女王エリザベス2世

 

表彰式の感動的な場面は、息子にとって生涯忘れられない少年時代の大切な記憶となった。彼はわたしたちのヒロインとなったアーバンシーに近づき、その鼻に軽くキスをした。

 

クリストファーはアーバンシーを賞賛した

 

表彰式の群衆の中で唯一落ち着いていたのは、ほかならぬアーバンシーだった。周囲の騒がしい雰囲気の動揺することもなく、堂々とした態度だ。わたしたちの期待に応えられたことが、彼女にとっても満足であったに違いない。

 

シンデレラストーリーは現実となった
 
妖精は、勝利が運命づけられたものであったことを彼女に告げた

 

アー バンシーはついにその使命を果たし、わたしたちが彼女に託した希望と夢をかなえてくれた。凱旋門賞に勝つことは、レスボード氏にとっても一生の願いであっ た。マスコミは、この1993年の凱旋門賞について、「小人物(小さな馬)が人々を驚かせた大会だった」と報じた。

 

マカオのカジノ王、何鴻燊(スタンレー・ホー)氏と崔黄紫霊、フランスギャロCEOのロマネ氏(1993年10月)
 
小人物

 

アー バンシーが「小人物」と形容されるほど小さな馬であることは否定しようもないが、その「小人物」がホワイトマズル、オペラハウス、イントレピディティ、オ ンリーロワイヤル(以上、着順)といった歴戦の名馬を撃破して1着に輝いたことも事実だった。凱旋門賞は「子どもレース」ではない。16年後、「小人物」 といわれたアーバンシーから生まれたシー ザ スターズが2009年の凱旋門賞で再び優勝するとは、このとき誰が想像できたろうか? アーバンシーは2009年に20世紀最優秀繁殖牝馬にも選ばれた。 彼女が産んだ子供たちは、その多くが現在も欧州競馬や王族の育成センターなどで活躍している。

アーバンシーの子どもたちは、欧州競馬や王族の育成センターなどで活躍している

 

わ たしたちは、アーバンシーの勝利を数日どころではなく数週間も祝い続けた。ところで、あれほど感動したにもかかわらず、クリストファーがその後、十数年間 も競馬場から遠ざかったと言ったら、あなたは嘘だと思うだろうか? 信じられないかもしれないが、それは事実なのである。

わたしたちは何日も何ヵ月も祝い続けた。
 
クリストファーが次に興味を示したもの。それはゴルフだった。

 




 
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