シー ザ スターズと私
第10章:馬たちの輝き

シー ザ スターズがダービー制覇の快挙を達成すると、記者たちは争うようにして取材に押し掛けた。オックス氏は記者たちの前で、シー ザ スターズが1週間後にサンダウンパーク競馬場で行われるエクリプスステークスに出走することを宣言した。このレースは、アイリッシュ・ダービーに引けを取 らない名誉あるG1レースだ。オックス氏がこのレースを選んだのは、夏場のアイルランドが過去2年間雨続きで、コースが重馬場になりがちであるのに対し、 英国東部は比較的乾燥しているので、良馬場に強いシー ザ スターズが実力を発揮できると考えたからだ。わたしはCASSビジネススクールで学んでいたころを思い出した。この学校のあった英国東部はたしかに天気が よく、空気が比較的乾燥している印象があった。

 

アイルランドの夏

 

わたしは、エクリプスステークスに出走させるというオックス氏の考えに異論を唱えることはなかった。彼の「名伯楽」としての経験に全幅の信頼を寄せていたからだ。

 

「伯楽」は、中国では天馬を司る星座だ

 

エ クリプスステークが開催されるわずか1日前、わたしはロンドンに到着した。気温は30度以上。日差しは明るく、シー ザ スターズが走るには絶好のコンディションである。ロンドンに着くと、わたしはハロッズ百貨店のピザ専門店に行き、ロンドンでもっともおいしいピザを食べ た。知らない人が聞いたら、せっかくのロンドンでなんてケチな食事をするのかと思うかもしれないが、わたしはピザが大好物なのだ。

わたしはケチ?


姉 のクリスティンとカナダに住んでいたころ、わたしはおいしいピザ店を見つけた。そこのピザは本当に絶品で、「まるで天国の食事ようだ」とクリスティンと一 緒に絶賛したほどだ。エクリプスステークスの前夜、わたしはクラーク夫妻、レスボード氏と夕食を共にしたが、ピザは食べなかった。食の好みは人それぞれ だ。自分の食べたいものを人に強要するわけにはいかない。

バンクーバーで極上のピザ店を発見したわたし
 
わたしと姉は一緒になって、ピザのおいしさを絶賛した


サンダウン競馬場はとても暑く、わたしたちは大汗をかいた。紳士たちは絶えず額の汗をぬぐい、淑女たちは馬券を扇子代わりにして扇いでいる。英国人もアイルランド人と同様に天気の話を好むが、この日ばかりは誰も口にしなかった。

 

紳士たちは絶えず額の汗をぬぐった
 
淑女たちは薄着をして、日本の扇子を扇いでいる


こ の日のわたしは、正装のインナーとして縁起の良いTシャツを着ていた。たくさんのギターがプリントされた、あのTシャツだ。炎天下に重ね着をするのはつら かったが、これを着て観戦すればレースに勝てると信じているTシャツを着ないという選択はあり得なかった。もちろん、首には同じく縁起のいい赤いネクタ イ、ポケットにはクレモンの写真を忍ばせた。迷信深いやつだって? そうとも、何しろわたしは中国人なのだから。

ギターがプリントされたTシャツをインナーにしたせいで、暑くて死にそうになった

 

パレードリング内はまるでオーブンのように暑く、わたしたちは帽子を脱いだり被ったりした

 

イアン・ボルディング氏はわたしに飲ませるために水を探し回ってくれた。
本当に感謝している。
 
シー ザ スターズは、観客の大喝采を浴びてウイニングランをしたが、わたしはその雄姿を見ることができなかった。


こ んなにも暑い日なのに、レースの安全規定でヘルメットを被らなければならないマイケル・キネーン氏を哀れに思った。しかし、彼はいままでさまざまな国で、 酷暑や酷寒をものともせず華々しい戦績を上げている。わたしが注目したのは、パレードリング内の馬たちのほとんどがびっしょりと汗をかき、へばった様子を 見せているなかで、シー ザ スターズだけが悠然と構えていたことだ。わたしは彼が他の馬たちを率いてトップに立つことを確信した。

 

 

ほとんどの馬たちがびっしょりと汗をかき、へばった様子を見せているなかで、シー ザ スターズだけが悠然と構えていた

 

王者の風格

 

そ れからわずか数分後、シー ザ スターズは、ライバルのリップヴァンウィンクルをものともせず、見事1着でゴールした。栄冠をまたひとつ手に入れたのだ。わたしとクラーク氏は、表彰エリ アでシー ザ スターズを温かく迎え入れた。汗に濡れたTシャツは肌に貼り付き、観戦スタンドから表彰エリアに向かって走るのも辛く感じるほどだった。

 

シー ザ スターズは貫録の走りでエクリプスステークスを制覇した
 
エクリプスステークスを制覇したシー ザ スターズには、王者の風格が漂っていた

 

シー ザ スターズが表彰エリアに戻ってくるのを待つ間、クラーク氏はわたしをBBCのテレビ中継の責任者であるイアン・ボルディング氏と、調教師のアンドリュー・ ボルディング氏の親子に紹介してくれた。アンドリュー・ボルディング氏は調教師としてデビュー間もない2003年に、牝馬カジュアルルックでオークスを制 覇した華々しい経歴を持つ。父のイアン・ボルディング氏も、1971年のダービー馬、ミルリーフを育て上げた伯楽だ。

 

イアン・ボルディング氏は、調教師として1971年のダービー馬、ミルリーフを育成した
 
アンドリュー・ボルディング氏は2003年オークスを制覇したカジュアルルックの調教師だ

 

そ のとき、突然のめまいがわたしを襲った。「いけない、こんな晴れの舞台で倒れるなんて!」。わたしはそう思って、何とか踏ん張ろうとしたが、目の前は真っ 暗になり、星がチカチカとまたたき出す。見慣れた人々の驚いた顔が、だんだんわたしの目の前に近寄ってくるのがわかった。あろうことか、わたしは表彰エリ アの群衆の目の前で卒倒したのだ。幸い、クラーク氏とボルディング氏に抱きかかえられて倒れ込むことは免れたが、意識を失っている最中に奇妙な夢を見た。 それは凱旋門賞でザルカヴァが優勝した夢だった。「なぜザルカヴァが? なぜアーバンシーじゃないんだ?」わたしは不可解に思った。

 

もし、わたしがこんなに痩せっぽちじゃなかったら、
暑さで眩暈を起こすこともなかったろう
 
なぜわたしはザルカヴァの夢を見たのか?

 

後 で知ったところによると、イアン・ボルディング氏はわたしに飲ませるために水を探し回ってくれたそうだ。本当に感謝している。シー ザ スターズはわたしが倒れている間に傍にやって来て、わたしに軽く息を吹きかけたという。30年近く破られることのなかったレース記録を更新したばかりの彼 が、ほっと安堵の息を吐くのは当然のことかもしれないが、あるいはそれは、わたしを心配してのことだったのだろうか。レース後もスタミナが十分に残ってい た彼は、観客の大喝采を浴びながらウイニングランをしたが、表彰エリアに横たわっていたわたしは、その雄姿を見ることができなかった。

 

イアン・ボルディング氏はわたしに飲ませるために水を
探し回ってくれた。本当に感謝している。
 
シー ザ スターズは、観客の大喝采を浴びてウイニングランをしたが、わたしはその雄姿を見ることができなかった。

 

意 識を取り戻すと、クラーク氏が救急士に向かって、わたしを救急車に搬送するのを待つように頼んでいるのが聞こえた。もちろん、そのときの状況では、搬送す るのがもっとも適切な措置だったことは言うまでもない。しかしクラーク氏は、わたしが馬主としてのプライドを持っていることを十分に理解していた。彼は、 わたしが必ず目を覚まし、表彰式で自らトロフィーを受け取ると信じていたのだ。まさに「困ったときの友こそ真の友」である。ありがとう、クラーク氏。 

 

クラーク氏は救急士に向かって、わたしを搬送するのを待つように頼んだ

 

もっとも、わたしがちゃんと表彰台に立てるかどうか定かではなかったので、妥協案として、友人たちはわたしを車椅子に乗せて、観戦席まで運ぶことにした。観戦席なら、競馬場内の医療センターまでエレベーターで直行できるからだ。

 

ところが、車椅子に座ったとたん、わたしは力がみなぎってくるのを感じた。まるで妖精が魔法をかけてくれたようだった。

 

観 戦席に着くころには、体調はほぼ回復した。おかけでシー ザ スターズと一緒に表彰台に立つことが許された。その代わり、救急員はクラーク氏に、万一に備えてわたしに付き添うことを求めた。すでに表彰台の前は観客で ごった返していて、わたしたちなかなか前に進めなかった。クラーク氏は観客に向かって「みなさん、優勝馬の馬主が入場します!どうぞ道を開けてくださ い!」と大声で叫んだ。わたしはクラーク氏の厚い友情に感謝した。

 

表彰エリアの周辺は人でごった返した

 

表彰エリアの入り口に陣取っていた人々や馬が、潮が引いたようにいなくなる様子は、まるでモーゼが紅海を割って渡った伝説のようであった。わたしたちは光り輝く太陽を浴びながら入場した。なかでもいちばん輝いていたのは、言うまでもなくわれらのシー ザ スターズだ。

 

 

表彰式に出席するのは、酸素マスクがほしいほど緊張する
 
エクリプスステークスのトロフィーを手に満面の笑みを浮かべるわたし。それまでの苦労が報われた瞬間である。

 

想 像していたとおり、記者たちは、わたしが表彰式の直前に倒れたことを盛んに書き立てた。あるフランスの新聞記者などは、「10月の凱旋門賞にアーバンシー が参加するのなら、レース前に若造の崔家亮を手術室へ運ぶべきだ。彼の愛馬が優勝でもしたら、心臓発作を起こしかねない」などと書いている。

 

凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場に、わたし専用の手術室を設けるという噂まで広がった

 

そ うした報道を喜んでいいのか、悲しんでいいのか、わたしにはよくわからなかった。ともあれ、わたしが思い出したのは、アーバンシーが凱旋門賞で勝利したと きに父親が取った行動だった。わたしも父にならって、心臓の鼓動をおさめるため、バーに行ってウイスキーをあおった。

 

1993年にアーバンシーが凱旋門賞で優勝したとき、父は表彰式の前に、バーに行ってウイスキーをあおった

 

わたしの母親は、問題を起こす前に予防をすることが重要だと考える。母はわたしによく言ったものだ。「熱で眩暈を起こしたくなかったら、リンゴをたくさん食べて、水をたっぷり飲んでおきなさい」と。

 

1日1個のリンゴを食べたお陰で、わたしは医者いらずになった。

 

い ずれにせよ、いまのところ凱旋門賞に出場するかどうかは確定していない。オックス氏がメディアに語ったところによれば、ロンシャン競馬場で10月の第1日 曜日に開催される凱旋門賞は、シー ザ スターズが好むような良馬場になるかどうかわからなとのことだった。ひとまずわたしにできることは、ギターがプリントされた縁起の良いTシャツを着て、8 月のヨーク競馬場と9月のレパーズタウン競馬場で開催されるレースに臨むことだった。もちろん、ゲン担ぎのための赤いネクタイとクレモンの写真も一緒だ。 この写真は、すっかりわたしのお守りとなった。

 

10月のロンシャン競馬場でも、シー ザ スターズは真夏の太陽のように輝くことができるだろうか?

 

ゲン担ぎのTシャツをきれいに洗って、8月のヨーク競馬場のレースに挑む

 

わ たしが年老いてリタイアするときが来たら、孫たちに自分が若かったころ、馬たちと一緒に撮った写真や新聞記事の切り抜きを見せてあげることだろう。ただ し、サンダウンパーク競馬場で撮った写真だけは、永遠にしまっておくことにする。賢明な読者には、その理由がお分かりだろう。誰もが若かりしときの失敗 は、永久に葬り去りたいと思うものだ。

スクラップブックには、自分が好きな写真だけを貼るものだ

 





 
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