シー ザ スターズと私
第14章:これからの道

凱旋門賞での勝利は、わたしの人生でもっとも誇らしい出来事であるだけでなく、素晴らしい思い出をよみがえらせてくれる出来事でもあった。わたしの心の中には、いまでもクレモンとアーバンシーがいる。

わたしの心の中には、いまでもクレモンとアーバンシーがいる

 

わ たしが凱旋門賞の勝利で得たのは、名誉や名声といったちっぽけなものではない。わたしは長い間、親友のクレモンの死、そして最愛の息子を亡くしてすっかり 変わり果てたレスボード氏の姿に心を痛めていた。今回の勝利は、そうした積年の苦しみからわたしを解放してくれた。それまでのわたしは、片時もクレモンの ことを忘れたことはなかった。大きな問題にぶつかったときは、クレモンならどうするだろう? 夢に出てくるだけでもいいから、アドバイスをしてほしいと 思った。

夢に出てくるだけでもいいから、クレモンにアドバイス
をしてほしい、とわたしは思った

 

B わたしは長い間、クレモンの話題を封印してきた。父親のレスボード氏を、これ以上悲しませたくなかったからだ。けれどもいま、シー ザ スターズは母馬の快挙を再現して凱旋門賞の優勝馬となった。しかも、三冠を制覇するという歴史的な偉業を成し遂げたのだ。レスボード氏の積年の悲しみも、 少しは癒されたに違いない。

レスボード氏は息子の死を悲しんだ
 
シー ザ スターズの快挙は、レスボード氏の悲しみを癒してくれた

 

マ スコミは、「シー ザ スターズ フィーバー」の熱狂ぶりを大々的に報じた。評論家たちのコメントはさまざまだったが、カリフォルニアで開催されるG1レースにシー ザ スターズを出場させ、米国の競馬ファンにもその雄姿を見せたいという意見が多かった。その一方で、もはやシー ザ スターズはすべてを手に入れた。これ以上高望みをすべきではないという声もあった。

シー ザ スターズは、競馬界のエベレストに足跡を記した

 

わ たしは、シー ザ スターズの今後についてはオックス氏に委ねることにした。ダービーでの優勝後、三冠達成に向けて着実なプランを練り、見事にそれを実現してくれたように、 これからのことについても、しっかりとした計画を立ててくれるであろう。オックス氏はシー ザ スターズを深く理解しており、どのレースに、どんな状態で出場させれば勝てるのかという戦略にも長けている。わたしたち家族は、そんなオックス氏に全幅 の信頼を寄せていた。

シー ザ スターズの未来は、つねに前進と向上あるのみだ

 

凱 旋門賞の終了後、マイケル・キネーン騎手は「シー ザ スターズは、すでに冬毛をまとっている」と話した。それが何を意味するのか、わたしには理解できた。キネーン騎手は、「レースシーズンは終わった。シー ザ スターズは、すでに十分過ぎるほどの成績を上げている。もうこれ以上、自分の実力を証明する必要はないじゃないか」と言いたかったのだ。

アーバンシーはシー ザ スターズに、「もうこれ以上、
自分の実力を証明する必要はない」と言った

 

10月13日の火曜日、ついにオックス氏は決断を下した。アイルランドの新聞はその日の1面で、シー ザ スターズの引退を大々的に報じた。オックス氏は、進退についてのあらぬ詮索を避け、競馬界に迷惑を掛けないためにも、はっきりと引退を宣告すべきだと考えたのだ。

オックス氏は、シー ザ スターズの進退について、
あらぬ詮索を避けたかった

 

今 日、香港やアジアの中国系競馬ファンたちの間で、ジョン・オックス氏は「伯楽」と賞賛されている。「伯楽」とは、芸術やスポーツ、科学などのあらゆる分野 において、類まれなる見識と才能の持った人のことだ。漢代末期の楚王は、「千里馬を探そうと思うのなら、まず伯楽を探せ」と言った。わたしの母は、オック ス氏こそが、わたしたち家族の伯楽であると確信したのであろう。彼女は、オックス氏の功績に深く感謝している。

オックスさん、心から感謝します
 
わたしを見込んでくれて、ありがとうございます

 

もっ とも、これで物語が終わったわけでない。シー ザ スターズは引退し、種牡馬として育成センターに送られることになったが、どこに送るのか、今後は誰が所有するのか、といったことがまだ決まっていなかっ た。この件についても、あらぬ詮索や議論が巻き起ころうしていた。

シー ザ スターズは、種牡馬として余生を送ることになった
 
あらぬ詮索や議論が巻き起ころうしていた

 

世 間では、すでにアラブ首長国連邦のモハメド殿下がシー ザ スターズを購入したとか、米国の財団が手を伸ばしているといった、さまざま噂が流れた。日本人馬主が買いたがっているという話や、わたしたちの家族がシー ザ スターズのために種牡馬育成場を設立するといった話もまことしやかに語られた。どこでそんな話になったのか、わたしたちが設立する種牡馬育成場の場所とし てアイルランドや英国、フランス、米国などの国々を挙げる人もいた。いずれも根も葉もない噂だが、そんな冗談みたいな話を耳にすると、レースのせいで胃の 痛くなる日々を過ごしていたわたしの気分が少し楽になった。

すでに売買取引は成立した?
 
わが家の夢は、いつか日本庭園を造ること

 

さ まざまな憶測が飛び交う中で、もっとも注目されたのは取引金額のことだった。子どものころ、母はわたしとクリスティンに、「お金というものは、物事を動か すエネルギーのひとつなのよ」と教えてくれた。わたしたちは、お金は金庫の中に大切に保管しておくものではなく、有意義に使うべきものだと思っている。

お金は物事を動かすエネルギーのひとつ
 
お金は保管するものではなく、有意義に使うべきものだ

 

母 は歴史が好きで、子どもをしっかりと教育し、守るべき伝統はきちんと継承することが重要だと考えている。それを貫くことが、わたしたちに個性をもたらすの だと信じて疑わない。母は平和主義者で、情に厚く、控え目でもある。母がアーバンシーと交配させる種牡馬としてケープクロスを選んだときには、自分の直感 と理性を信じて決断した。母の選択は間違ってなかった。おかげでわたしたちの偉大な馬、シー ザ スターズが誕生したのだから。

歴史
 
教育

 

継承

 

母 は何事においても直感を重視する。ひょっとしたらそれは、彼女の愛読書であったアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』の影響かもしれな い。母が物事を評価するときには、あくまで自分の目で確かめ、主観的に判断する。客観的な評価など、彼女にとっては無意味だ。

『星の王子さま』は、わたしの母を啓発した

 

わたしとシー ザ スターズは、見えない糸で結ばれている
 
アーバンシーの墓。わたしの心は、いまも彼女とともにある

 

わ たしたちにとってシー ザ スターズは、アーバンシーの精神を受け継いだ「生ける形見」のような存在だ。母馬と同じ凱旋門賞で勝利したことが、何よりもそれを物語っている。大切な形 見であるシー ザ スターズを誰かに売り渡すつもりはなかった。非凡な母馬であったアーバンシーと同じく、シー ザ スターズも永遠に「崔家の一員」なのだ。

シー ザ スターズの凱旋門賞での勝利は、母馬に対する何よりの贈り物であった

 

す べての手続きが完了したところで、わたしたちは、シー ザ スターズをアーガー・ハーン4世が運営するアイルランドのギルタウン種牡馬育成センターに預けることを発表した。シー ザ スターズは、アーガー・ハーン4世が所有する2頭の優秀な馬たちとともに、種牡馬としての余生を送ることになった。ギルタウンは、オックス氏の育成セン ターからさほど離れておらず、わずかな距離を移動するだけで引っ越しは完了した。2007年にオックス氏のもとで訓練を開始したのと同じように、シー ザ スターズの新しい生活が始まった。競馬界とかかわりが深かった作家のジョージ・ムーアは、その著書『The Brook Kerith』(ケリス渓流)の最後でこんなことを書いている。「物語の続きは、いずれ誰かが語るだろう」。

シー ザ スターズと別れを告げるジョン・ハインズ氏、ジョン・オックス氏、ケビン・オックス氏
 
わたしと一緒に、アーガー・ハーン4世のギルタウン育成センターに向かうシー ザ スターズ

 

「幸 福とは形のあるものではなく、心の中にある見えない存在なのよ」とわたしの母は言う。心が満たされれば、それだけで人間は幸せになれる。それが母から学ん だ人生哲学のひとつだ。母は、さまざまな哲学をわたしに教えてくれた。「お金は物質ではなく、エネルギーである」「幸福は心の中にある」「昨日は歴史、今 日は贈り物」「失敗から学べ」「肉眼よりも、心の目で物事を見ること」「客観的な価値よりも、主観的な価値のほうがはるかに重要である」。わたしは、母の 考え方をもっとしっかりと学び、どんな困難にも揺るぎない信念を持って立ち向かえる人間になりたいと思っている。

強く求めれば夢はかなう。いい夢を見るべきだ
 
1杯のごはんが幸せをもたらすこともある

 




 
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