シー ザ スターズと私
第4章:過酷な真実

わたしはオーランドを離れることになった。荷物を整理しながら、PGAツアーの参加資格を取るために奮闘した5年間や、父親との楽しい日々の思い出がよみがえり、愛おしさを感じだ。しかし、楽しい思い出は心の奥にしまって、新しい扉を叩かなければならない。

 

ゴルフを楽しむ父と子
 
父親と一緒に過ごしたオーランドでの楽しい日々は、いまでも忘れられない

 

母 親からわたしに電話があり、「ロンドンに来る予定を早めてほしい」と言ってきた。2004年6月4日に行われるオークスに出席してほしいというのだ。「競 馬?なぜ僕が出席するの」と、わたしは不審に思って尋ねた。じつのところ、友人のクレモン・レスボードが死んで以来、わたしは二度と競馬にはかかわりたく ないと思っていた。競馬にたいするわたしの感情は、楽しい思い出と辛い記憶が混じり合って、非常に複雑だった。そのときわたしの頭の中はゴルフでいっぱい になっていたが、その愛着あるゴルフと決別する時期が来たようだった。

 

PGAツアープロを目指してゴルフに挑んだ日々は終わろうとしていた

 

ク レモンの死を知ったときの衝撃は、いまでも忘れることができない。あのころ母親は、オーランドにやって来ても、競馬の話を自分から進んでしようとはしな かった。わたしはレスボード氏やクレモンの近況について母に尋ねた。母によると、レスボード氏はすでに引退し、厩舎も売り払ってしまったということだっ た。わたしは驚いた。なぜレスボード氏はクレモンに厩舎を譲らなかったのだろうか、と思ったのだ。クレモンにはその能力が十分に備わっていたし、何より自 分のこと以上に馬を愛していたのに。

 

クレモンとアーバンシー。ドービルにて
クレモンとアーバンシー。1992年の香港招待カップにて

 

母 親はしばらく口をつぐんだ。中国では、「天国」とは幸福に満ちた世界であると考えられている。大乗仏教の国々で「スカーヴァティー」と呼ばれる場所を中 国語では「楽土」(極楽浄土の意味)という。中国人にとって「極楽」は、遅かれ早かれ誰もが行き着く場所だ。母親は余分な言葉を付け加えることなく、シン プルに、クレモンが極楽に旅立ってしまったのだということをわたしに伝えた。

 

「スカーヴァティー」、極楽浄土
 
楽土

 

わ たしは耳を疑った。あまりの驚きに体がガタガタと震え、暑い真夏の日だったというに寒気を感じずにはいられなかった。頭の中に2つの疑問が浮かんだ。「い つ死んだのか?」そして「いったい何があったのか?」。わたしと姉のクリスティンにとって、それはあまりにも突然のことだったが、母親はクレモンが死んだ ことを3年間もひた隠しにしていた。わたしは悲しみとともに、事実を知らされなかったことに怒りを感じずにはいられなかった。

 

暑い日であったにもかかわらず、わたしの体は震えが止まらなかった
 
わたしたちは驚き、嘆き悲しんだ

 

い まになって思えば、母親がクレモンの死を隠し続けたのは、わたしたちのためだったのだということがよくわかる。彼女はわたしたちの壊れやすい心が、残酷な 現実を知ることに耐えられないと思ったのだ。母親がレスボード氏から聞いたところによれば、クレモンは2歳のころから重い心臓病を患っており、医師からも 余命はあまり長くないと宣告されていた。クレモンは何度も入院を繰り返しながら、勇ましく病魔と闘ったのだという。医師の予想をはるかに越えて24歳まで 生きることができたのは、生への執着があったからこそであろう。どんなに短くても、大好きな馬たち、なかでもアーバンシーとともに過ごしたクレモンの人生 は、彼にとって悔いの残らないものとなったはずだ。

 

クレモンとアーバンシーは幸福な日々を過ごした
 
凱旋門賞で勝利した後の記念写真。レスボード氏親子とイブ・サンマルタン、エリック・サンマルタン親子

 

凱旋門賞で勝利した後、競馬場から戻ったクレモンとアーバンシーを
迎えるスタッフたち
 
クレモンは障害レースの騎手でもあった

 

わたしたちは悲しみに暮れたが、やがてそれを乗り越えていった

 

クリスティンは悲しみと怒りに震えた
忘れ難い記憶がよみがえり、悲しみをこらえきれないクリストファー

 

わ たしたちは何年もの間、クレモンは心臓病で死んだものだと思い込んでいた。ところが、最近発見した古い新聞記事によると、クレモンはトラックに轢かれて死 んだのだった。偶然この記事を発見しなければ、わたしは永遠にクレモンの本当の死因を知らぬままに過ごすところだった。西洋では、重病が発見されると、患 者に正直に告知するのが当たり前だが、中国では神話に登場する神や動物などの力にすがって、少しでも事態を打開しようと試みる。中国には超常的な力を 持った動物にまつわる伝説が多い。代表的なのが『西遊記』に登場する孫悟空だ。石から生まれた孫悟空は、さまざまな神通力を身に付けて天界で悪さをした揚 げ句、お釈迦さまによって五指山のふもとに閉じ込められてしまう。やがて三蔵法師に救われ、一緒に経典を手に入れるためインドへの旅に出るのだ。

 

孫悟空
 
龍も超常的な神通力を備えた生き物だ

 

アーバンシーは数年にわたってアイルランド国立種牡馬育成センターに預けられた。彼女は相変わらず崔家の一員ではあったが、その管理は同センターに委ねられていたのだ。そのため、わたしはアーバンシーがどのような仔馬を産んだのかということをまったく知らなかった。

 

アーバンシーと彼女が2002年に産んだジャイアンツコーズウェイ。アイルランド国立種牡馬育成センターにて

 

母 親がわたしをオークスに出席させたいと考えたのは、アーバンシーとサドラーズウェルズとの交配によって生まれたオールツービューティフルが出走するから だった。レースを直接見て、感想を聞かせてほしいと母は言った。母親はまた、オールツービューティフルは、ダービー伯爵が所有するウィジャボードには勝て ないだろうから、この2頭の連勝複式馬券を買ったらどうかとアドバイスした。

 

オールツービューティフル
 
ウィジャボード

 

2004 年のオークスの日、わたしはアーバンシーが凱旋門賞で優勝して以来、本当に久しぶりに競馬場を訪れた。数ヵ月後にロンドンの大学で勉強を始めなければなら ない身分であることを考えると、競馬場にいることは場違いであるように思えた。このとき、わたしは初めてティぺラリーのチームに紹介された。ティぺラリー は、アーバンシーとサドラーズウェルズを交配させた育成牧場があるアイルランドの町だ。

 

アーバンシーの輝かしい日々。1992年
学生の身分であるわたしが「王族のスポーツ」である競馬にかかわるのは、ふさわしくないように思われた

 

母 親が言うには、世界中でもっとも優秀な種牡馬たちは、すべてアイルランドにいるという。事実がそれを証明しているようだ。アーバンシーとサドラーズウェル ズの交配によって生まれたガリレオとブラックサムベラミーは、ともにG1レースの優勝馬である。そしてオールツービューティフルは、この2頭の優勝馬と同 じ血で繋がった妹なのだ。

 

サドラーズウェルズ
アーバンシー

 

ガリレオ

 

ベストな繁殖牝馬とベストな種牡馬を交配させれば、ベストな子どもが生まれる

 

 

ティ ぺラリーの人々の様子は、かつてのレスボード氏のことをわたしに思い出させた。ただ競走に勝つためだけに、優れた交配を実現させることに集中して取り組 む彼らのひたむきな姿勢。オールツービューティフルの調教師は若く、もしクレモンが生きていれば、同じぐらいの年齢だったろう。しかしわたしは、成長した クレモンが目の前の調教師と同じように1日中、携帯電話を片時も話さずに仕事をしている様子は想像することができなかった。

 

競馬事業において、成功と失敗は紙一重だ
 
現代の調教師は、携帯電話を片時も手放すことがない

 

わ たしはオールツービューティフルがいるパレードリングに招かれ、目の前で見た優雅で気品ある彼女の姿に心を奪われた。アーバンシーのような栗毛ではなかっ たが、棗のように紅い毛で包まれた彼女の姿は、名前のとおり美しかった。専門家の説明によると、サドラーズウェルズはさまざまな色の牝馬と交配している が、栗毛が生まれたことは一度もないそうだ。パレードリングの中で、わたしは母親がそばにいないことを心細く感じた。こういうかしこまった状況には慣れて いないからだ。母親は、どんなイベントでも優雅にそつなく対応できる女性だった。ともあれ、わたしはオールツービューティフルとウィジャボードの連勝複 式馬券を100英ポンド分買うために、その場にいるしかなかった。

 

彼女はわたしの母親か?それとも蝶々夫人か?
母親は男性ばかりの集まりでも、優雅にそつなく対応した。左から、フランス航空宇宙グループのアンリ・マルトレ前会長、中国で誘導ミサイルを研究する梁守盤教授

 

巨 万のマネーが行き交う競馬場の独特な空気を味わうのは、本当に久しぶりだった。そのためか、オールツービューティフルがまるで母親アーバンシーのかつての 姿を彷彿とさせながら、並み居るライバルたちを尻目に勢いよく駆け出すのを見たときは、思わず息をするのを忘れるほど興奮した。しかし、後ろから来たウィ ジャボードにあっという間に抜き去られ、結果は2着に終わってしまった。ダービー伯爵の新星ウィジャボードはオールツービューティフルに7馬身差も付けて 完勝した。結果はともあれ、買った馬券は的中した。わたしは、この馬券を買うように勧めた母親に改めて感謝した。

 

母親のアドバイスのおかげで、大金を手に入れた

 

わたしは、2着ならまずまずの成績ではないかと思ったのだが、ティぺラリーのチームの人々は落胆していた。あるチームの一員は「2着になった馬なんて、誰の記憶も残らない」と嘆いた。

 

1993年の凱旋門賞で2着になったホワイトマズルは、人々の記憶に残っているだろうか?

 

香 港に戻ってからも、ウィジャボードの雄姿はわたしの頭の中から離れなかった。母親は、わたしが何かにつけ、うわ言のように「ウィジャボードは本当に優秀な 馬だ!」といった話をするのを見て、強迫性障害(OCD)にでもかかったのではないかと心配した。母は、ウィジャボードのレース映像が記録されたCDロム を何度も何度も見返し、ウィジャボードの父馬であるケープクロスについても研究した。

 

ウィジャボードの父馬であるケープクロス

 

数 週間後、母親が突然言った言葉は、わたしを驚かせた。「ねぇクリストファー、2005年の交配シーズンに、アーバンシーとケープクロスを交配させてみよう かと思うの。もう1頭のウィジャボードをあなたにプレゼントしたいんだけど、どうかしら?」。わたしは馬の血統や交配のことなどまったく知らなかったが、 自分の口から思わずこんな言葉が飛び出した。「アーバンシーの子どもなら、ウィジャボードよりもっと優秀な馬になるかもしれないね。漢の武帝が愛した「霊 馬」のように。ぜひ、交配させようよ!」

 

漢代末期の武将、呂布が彫った馬の彫像

 




 
免責事項 | -
Follow us on Instagram  Follow us on Twitter